ちょっと覚えておきたいそんなこと。

Twitterじゃどんどん流れるし、Instagramほど映えるものでもないし、Facebookに投稿するには些細なこと過ぎるような行き場のないちょっと面白かったことを書きます。

金曜夜に新社会人と飲んできた

 

 

 

「まぁ言ってしまえば結局はナンパなんすけどね!」と、隣でカルピスサワーを飲む僕が言う。「まぁそうだよね」と私は笑う。

 

この春新社会人として"こちら側"に来た僕は、私のいまの職場から電車で15分のところが勤務地となり、金曜日の夜さっそく飲みに行った。私が就活する前に出会った子が、新社会人となった。時の流れを感じるきっかけは日々のいたるところに落ちているけれど、これは特にわかりやすい月日の流れだ。

 

「でもすごくないっすか!?あの時声かけて、LINE交換して、いまこうやっていまだに飲んでるんですよ!あの時ゆっかさんだって学生だったっすよね」

「はじめて会った時、就活前最後の遊びって言い聞かせてたからよく覚えてる。Hルくんは大学入学したばっかだったのにね」

 

 

前回あった時は就職活動が終わった時だった、そういえばもう一個前にあった時は就活相談だった。毎度会うたびステップアップしてくるHルくんがキラキラ(もはやギラギラ)していることがうらやましくてどこか遠い存在にもなっていくようだ。今日くれた名刺は「売れる」名刺。ネームバリュー最高クラスなところに強烈な個性を披露したようで、はたから見ればサクッと入社したように思える。就活アドバイスなんてものをしていたのが恥ずかしくなる、そんな感覚。

 

どんな大手に入ろうとそれでもHルくんの態度は変わらないし、いい子だし、私に喋らせることも上手だ。そして、私の相談にもしっかり答えてくれる。「それは間違っている」と言われることがいつもあって、「はい、確かに私が間違っていました」と反省するシーンが必ずある。論破されている気持ちにもなるけど、正しいと思わせるだけの言葉を並べてくる。だからとても勉強になるし、今日は何を話そうかななんて思いながら待ち合わせに向かっている節も否めない。

 

ちなみに私たちはいつもノンアルコールでコーラを飲んでいたが、今回に限っては「社会人になって歳上の人と飲むってことしたいんで飲みます」とかなんとかいって、私もなぜかそれに付き合わされてアルコールを飲んだが早々に押し付け合いが始まった。飲めないもの同士飲むことはしたことがなかったから少し新鮮な感覚だった。

 

 

「アルコール入ると耳が遠くなるんすよ」

「え、なんて?」

「飲むと、耳が聞こえなくなる」

「ああ、わかる」

 

 

3つ離れた年齢の為かぎりぎり崩れないくだけた敬語で、いつも「ごはん行きましょー」と声をかけてくれる。うん、かわいい。そして、「いつも俺が声かけてるからたまにはゆっかさんからこれかけてくださいよー」と言われ、ギクリとする。その通りだから。「次は私が声かける」といったのは、前回の私の言葉だった。言い訳すれば、声をかけようと思ってたけど、声をかける前に声をかけてくれた。

 

声を掛けられるまで誘いをまってるっていうのもおかしいし、かといっていつも私が声かけてるから声かけないという駆け引きもおかしな話だ。でも私は、"いつも私が声かけることに疲れた"ことが幾度となくある。それで、声をかけるのやめたら疎遠にり、疎遠になったことをその程度だったんだ、とあきらめることしかできなかった。

でも、こうやって声をかけ続けてくれる子もいるわけで、声をかけてくれることに応えたいなと思う。次こそは、私が声をかると言ったら「目標決めましょう、2か月以内ね。2か月以内ってことは1か月後でも全然いいんですからね」と。

 

まぁ言ってしまえばナンパなんすけどね

ナンパはちゃらいイメージがあるけども、実際にちゃらんぽらんな子なのだけども、あの時声をかけてくれなかったら、私も私で拒絶してたらと思うと、今がなかったのだからすやっぱりすごい。ナンパひとつも侮れない、出会いというものは。

 

だがしかし、この「ナンパ」を「ナンパ」とこうやってオープンに言えるだけの理由がある。

 

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声をかけてくれと言わんばかりでしょう?これで「ナンパ」というにはHルくんにナンパという単語の持つマイナスなイメージの責任を押し付けすぎだと思っている。君たちが隣でBBQしていたことで、私たちもさらに楽しさを得られたのは事実だ。

 

帰り際、私たちだけで撮ってた写真に乱入してきたHルくんとそのお友達。

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 失敗しているけど、それもまた。

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大学4年生の夏、遊び倒していたんだぁ。

 

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ああ、また話がそれる。話始めたら止まらないので、また改めて小出ししていこう。それでは。

 

 

四年前のGW、猿島で出会ってもうすぐ4年が経つ。

 

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おわり

本を一冊貸しただけなのに、「運命」とか使ってしまう気持ちはよくわかるぞ、って話

 

 

 

学生時代にバイトしていた居酒屋で週に1回程度、お手伝いに行っている最近。

 

 

そこで働いてるバイトのモモちゃんという子とほとんどシフトが被るのだけれど、2回目に被った時からお互いの趣味が共通とわかり意気投合。仕事終わりにバイトに行くわけだけれど、ただのリフレッシュでしかない、楽しい。

 

 

「結婚式も続くから、お小遣いがもう少しあったらいいな」という気持ちで始めたけど、その時に「お金に欲はもたない」と決めていたから気持ちが楽だ。お金の為に働いていた学生時代とは違い、人と喋りたい、運動不足解消という方が今は目的となり、エプロンの中にはポケモンGOを潜めたまご孵化用のウォーキングの役割も果たす。

 

 

話がすぐにそれるが、私のなぜバイトしているのかという理由はそれだけで、今日聞いてほしいことはモモちゃんと意気投合した話。

 

 

ひょんなことから百田尚樹さんの『フォルトゥナの瞳』の話になった。モモちゃんは映画を見ていて、私は本を読んでいた。モモちゃん曰く、まじで泣けたらしい。でも、私は原作があるものの映画は再現不可だと決めつけているところがあるので前向きではない。それを話したら「本を読んでみようかなー」というから、「貸してあげるよ!」と、モモちゃんに本を読んでもらうことになった。

 

 

翌週、本を貸した。「今日持ってきたから貸すね」「まじすか!忘れてると思ってました」「なんでよ~、覚えてるよ」そう言って手渡した。

 

そしてそのまた翌週は今週の出来事にあたるのだけれど、「ありがとうございました~~!」と、返してきた。読むの早い…!「いま、砂漠読んでます!」

 

 

砂漠

砂漠 (新潮文庫) [ 伊坂幸太郎 ]

価格:853円
(2019/4/12 16:02時点)
感想(85件)

 

モモちゃんに好きな作家を聞かれた時に「伊坂幸太郎かな~」と言ったら、モモちゃんは伊坂幸太郎を読んだことがなくて、おすすめを聞かれた。あれもこれもおすすめとして読んでもらいたいのだけれど、脳内で一冊ずつモモちゃんに貸すイメージをしていった時、漫画でいう手元でポンっとしたときに豆電球がぴかっと光る思いつきをした。

 

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「モモちゃんいま大学生じゃん!絶対砂漠がいいよ!」とおすすめしておいたのだけれど、そしたらもう買って、読み始めていた。

 

 

「もう、めちゃくちゃ読書にはまっちゃって、ずっと読んでます」と言った。もともと本を(活字)を読むのに抵抗はない子だったみたいだけど、それにしても。ブックソムリエ(※)になりたい私にとっては究極の褒め言葉だ。

※ブックソムリエ…私が勝手に作ったそれっぽい単語言。オススメの本を聞かれたら日常やキャラを考えて本をオススメできるだけの本を読みたいという目標だよ。

 

 

私のおすすめを続けて読んでくれて、舞い上がらないわけがない。私より本を読む人なんて万といる。でも、モモちゃんよりも少し歳を重ね、自信を持ってお勧めができる本があって、それを素直に聞き言れてしまってくれた先に、「読書にはまってしまって」という影響を与えられた。

 

 

フォルトゥナの瞳を返してくれるのと一緒に、モモちゃんのおすすめの本を貸してくれた。読んだことのない作家さんだ。こうやって、世界は広がっていくらしい。

 

 

 

私が昇一と最後に会ったのはふたりが小学校に上がる直前くらいの時だっただろうか。---

 

 

 

 

砂漠は、私が大学生の時に読みたかった本。少し遅くて、社会人一年目の時にやっと私の手元に巡ってきた。悔しかった。でも今回、現役大学生に読むことを託せた。よかったよかった。

 

 

砂漠 (実業之日本社文庫) [ 伊坂幸太郎 ]

価格:779円
(2019/4/12 16:12時点)
感想(3件)

 

表紙リニューアルしてまた売り上げが伸びたらしいぞ。大学生にお勧めしたい本ランキングに入っていたぞ。さすが私。

 

 

極めつけがこれだ。そうそう、本を読むと運命ってものがよくわからなくなるし、これもまた運命、運命、運命、いや、選択すること一つも、選択する運命なのか選択によって運命が変わるの…いろいろわけがわからなくなるけど、今のこの運命を受け入れられるようになるというものだ。

※運命を語りはじめたくなる物語がフォルトゥナの瞳

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では今週の土曜日も、元気にバスケをしてきます。眠たくて仕方ないところだけど、自分へ言い聞かせた言葉を信じて。

(PC開いたときにその時の記事しれっと貼っておきます)

 

 

おわり

最近のブログは違う面白みがある

 

 

 

3000字越えの記事を書くと「文字をタイプしたい!」という欲求がすべて消化されるようだ。だいたい3日間くらいは欲求が満たされた状態になる。しかし、ただ生きてるだけでも書きたいことは増えてくばかりで、下書き保存は書きたいと思ったことを覚えておくための、書き出しのメモであふれている。埋もれていった記事も、[次のページ]になってしまうくらいにはある。何が言いたいって、前回の記事は自分でも好き。

 

 

shirokuma-yu.hatenablog.com

 

 

 

基本的に私はSNSが好きで(流行りもの)、TwitterInstagramFacebookもやっているがSNS疲れをしている民の一人でもある。だけどTwitterの面白い記事ではクスっと笑えるし、犬は可愛いし、知らなかった常識を簡単に教えてくれるし、なにより時代を読み取れる。まだジェネレーションの渦中にいたい年齢だ。Instagramはおしゃれ!写真を撮ることがすきだから勉強にもなるし、行ってみたい旅先も増える一方。そしてプライベートアカウントだけではなく、趣味のアカウント(読書)は私にとてもいい影響を与えてくれる。Facebookはなかなか会えない友人、先輩、先生との繋がりがあって素敵だ。年に2~3回程の更新を心がけている。あと、海外の友達ともつながっていられるのは大きい。海外の旅行先で出会った人と写真を共有するにも必要なツールだ。

 

こうやってSNS離れできないあ理由はいくらでも並べられる。

 

それでも、疲れたんだ。疲れたんですよ。なのにまだ私は楽しかったことはみんなにおしゃべりしたい。そしてたどり着いたのがブログという形だった。なにが良いって能動的だっていうこと。SNS疲れの根本は、会えない人の日常であるにもかかわらず会っているんじゃないかという錯覚になることだと私は結論づけた。みんなの日常を知りたくないと言っているわけではない、でも勝手に入ってくる情報量にパンクしていた。

 

だからこのブログはInstagramのところにちょこんとURLを張っているだけで宣伝したことはない。あくまでも自己満足の日記代わりだからだ。なのに、なのに、読んでもらいたい!」という強い意志はなかったはずなのに…このブログ、10日せずに100プレビュー超えました!(拍手)自分でも満足した記事を投稿したら一日で30プレビュー越えですよ。こんな雑多ブログに。

お前読んでもらいたいって思ってなかったじゃねーか、とセルフ突っ込みなのだけれど、うれしいもんはうれしいんだ!

相変わらず誰に読んでもらってるのかは知らないけど(読んでるよと名乗り出てくれくれた人はまだ2人)意外とそこは気にならない。そして最近、InstagramのURL以外からの訪問者も増えてきた。

 

読んでもらうことがブログを更新したいという、ブログを始めたときと少し違う意欲が湧いてきた。書くことが楽しくて仕方がない。これは私が新たに手に入れた趣味なのではないか?文章を書いていると感情が高ぶってポエミーになりがちなこともあるけど、TwitterInstagramではだれに見られてるかわかるからこそ恥ずかしくてできない。そういうところもまた、よし。

 

 

記憶がはっきりしている幼稚園生のころから、おとう(父)の仕事帰りのお土産は絵本だった。おかあ(母)がしてくれる絵本の読み聞かせは、おかあの出身地の方言で読んでくれて笑い転がった。お父さんの読み聞かせはものすごい早口な時とかスローすぎるパターンとかもあってこれも笑い転がった。親戚からは段ボールいっぱいの絵本が毎年届いた。小説の面白さはおとうが教えてくれたし、中高ともに図書室の先生と仲良くなって、本のリクエストをしまくってそれに先生は答えてくれたし、休みの前日は友達のカードをも使って(のちに、それはいけないことだったのよ、と三個下の妹を介して伝達された)借りることを許してもらい、本が好きと言ってもいいかなくらいには本を読んできたら、文章を書きたいと思いはじめた。こうやっていま、記録を残せる手段が文章を書くこと、に至る必然的バックグラウンドに感謝して、次に投稿したいと思っている記事の伏線とする。

 

 

おわり

ゼミとウォッカと私の居場所

 

 

 

いまはだいぶ疎遠になってしまったような気がするけど、それでもなんだかそれぞれがそれぞれの場所で適当にやってて(がんばってて)過去にすがることなく前へ前へ進んでいるような、思い出になってしまって、そこから思い出話をするような機会も今のところなくてさみしいんだけど、それでもそれはそれ、と思えるような存在の、3年ほど所属していたコミュニティがある。

 

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大学のゼミ、です。

 

 

思い出は美化されるものだから、よけいそうなんだと思うけど、思い返せば返すほどゼミは不思議な場所で、楽しかった。学部が同じだから顔は知っていても、話すことすらなかったであろう人たちと一緒に制作したり、合宿いったり、飲みに行ったりしていた。

 

どこでどんなコミュニティだろうと所属する人が違うのだから同じコミュニィは一つとしてないといえる。でもその中でも人はそれぞれ自分に馴染むところ、性格や空気感、価値観など合うところ選び、所属しているはずだ。だから、一生ないと思うという単語をここで使いたい。

 

こんな違和感満載で不思議と楽しいコミュニティは一生入ることはないと思う。

なぜなら、いま能動的に選ぶコミュニティでこのゼミの心地だったら所属しないからだ。

ただ、所属し続けたからこそ得られたこの今をも感じる高揚感を味わえることも一生ないといえる。

 

 

はじめはなんだかしっくり、フィットしない、そんな居心地だった。これは決して悪い意味ではない。ただ悪く言えば、馴染める気がしなかった。こんなにもタイプが違う人が集っている場所は初めてだったのだと思う。だけどゼミのメンバはみんな来るもの拒まずっていうのをとっても感じられたから、「見た目で判断しちゃいけない」の私の中での最大のリアル体験だったといえる。

 

ちょうど、こぇ〜と思ってた2人に挟まれた写真がありました。見た目だけでした。

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そんなゼミの初日、自己紹介の時に「呼ばれたい名前があります、ゼミではみんなにゆっかって呼んでほしいです」なんでゆっかって呼ばれたかったのかもう記憶がない。でもいまは多くの人に呼ばれるこの名前。ゼミのみんながバッチリ呼んでくれていた、いまも残るゼミの名残と言える。

 

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私のゼミは縦の関係を作ることにとても積極的だった。でも今でも覚えてる、歓迎会をしてくれた時に日本酒を水のように飲む先輩たちをみて「あぁ、ムリ…」怖くて、委縮した。飲みサーと変わらない飲みっぷりに、楽しみにしていたゼミライフの想像は一晩で跡形もなく崩れていった。

 

なのに、手元に残るのはこんな写真だから人生語りたくなる。

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しかしいま、上の写真が物語るように私はゼミのみんなのことが大好きだ。いまでも、思い出すと本当に大切な場所。でもそういう場所に変わっていった転機が、同期との日常以外にもあった。

 

 

ゼミが始まって半年後、少数クラスの履修が、まさに日本酒の一升瓶を抱えていた先輩と被ったのだ。もはや事件。

 

(向こうは私のこと知らないかもしれないけど、あいさつしないのは良くないよね!?)と自問自答を繰り返し、「●ゼミのゆっかです、Gショさんですよね?」

 

 

かろうじてか、私のことを認識してくれていたGショさん。週に2度あったこのクラスで顔を合わすたびに少しずつ仲良くなっていった。Gショさんは、仲良くなったいまだからこそ言えるのだけどただの人見知りだったんじゃないかなと分析している。あんなに近づきがたいと思っていた先輩は、今の私にとって甘いものが好きな面倒見のいいワイルドな先輩、と説明する。

それと、私がお金がなくて飲み会に行けない(2次会に行けない)と言ったときは「時間が許すならお金で決めるな、行ける飲み会には絶対に行け」と私の分を払ってくれて、社会人になってもいまだ通用している飲み会の大切さを教えてくれた。

 

二次会に行っていなければこの写真には映っていない。

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こうやってGショさんや個人的に仲良くなりたい!って一目ぼれしていた女の子の先輩Yケさんへの猛アプローチもあり(Yケさんのことは大好きすぎるので、今度遊んだ時にでも別途愛を語ります)私は気が付いたら飲み会はただの楽しい場所で、居場所がない…なんて思う暇もなくなっていた。居場所を見つけたというのか、いやいや居場所っていう概念が飲み会の席には相応しくないのだろうか…

 

なんてすぐに思い出に耽ってしまうが次に思い出すのは店員さんが「グラスを返せ(怒)」という勢いで頼んでいたウォッカの乾杯だ。ウォッカの入ったショットグラスをみんなで片手にウェーイとする時。私の右後ろには飲める先輩がいつもくっついてくれて、代打をしてくれていた(乾杯は私にさせてくれる、でもグラスの行き先は右後ろ)。だから、飲めないことが飲み会に馴染めない理由ではなかったことを身をもって学び、これはのちに就活でも生きてくるエピソードとなった。

 

そして、このゼミに所属していたおかげというのか、良くも悪くも下戸の私ですら一通りの安いお酒の味は知っているつもりだ。「一口だけ」を若気の至りで繰り返し、何度リバースをしたか。つまり下戸という判定を下すまでの経験もゼミの存在は大きかった。良くも、悪くも。

 

 

飲み会に参加することが偉いとは一概には言えない。でも、私は飲み会に参加することで少しずつこうやって仲良くなっていった。あまりしゃべったことがなかった先輩とでも不思議ともう喋れるようになっていたりもしたものだ。

 

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そう、そうやって気が付いたら仲良くなっていた先輩の内の一人と今週ご飯に行く約束をしている。その人に対してのメモが残っていたのだけれど、「Kキさんとは焼酎が飲めないと話せないと思っていました!」と。こんなメモをしていた自分もマメだけど、相変わらずのゼミ生の一面に笑みがこぼれる。

 

facebookの写真にコメントを付けていた。ジャンケン大会ってなんだっけ…

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会うのは先輩が卒業してから振りで、少し緊張している。突然facebookメッセンジャーに連絡が来たのだ。「同じ職種だし、飲みに行こう!」と。どこかで私のことを話してくれた人がいたのだろうか。それとも私がfacebookに自分の職種投稿したことがあったっけ?

そこはどうであれ、あの日あの場所、私はちゃんとそこにいたのだと思う。私の今を知り、会おうと言ってくれるまでには関心を持ってもらえたゼミの一員になれていたのだと思う。

 

同期のこえーな、って思ってた男の子のうちの一人は、今は私が働いている常駐先のプロパーだったりもする。もしゼミが一緒じゃなければこんな偶然がおきていようと知る由もなかった。いや、知り合っていなければ偶然がおきた、とすら思わない別々の人生か。

 

卒業した時の写真を見返しても、私はとっても楽しそうだ。

 

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何をこんなに私はおびえていたのかと思う。もはや失礼にあたる。なんか好き、ずっとそう思っていた。

 

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そしていまもなんか好き。あの頃、学生ではあったけどもう私たちはとっくに大人で、友達を作るのがへたくそになっていたのだと思う。似ている人が集まるばかりのコミュニティになれてしまっていたから、不安があったり自信がなかったのだと今ならわかる。わかった今だからこそ、会いたくなるんだぁ。旧友と呼べるいま、会いたいんだぁ。

 

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さて、思い出巡りは終わりにしましょう。また未来の話に戻ってく。会いたいなぁという気持ちから会うに至るのかどうかも未来。先輩にあったらまず何を話そうかなと考えるのもまた未来。過去はこうやって今に繋がっていく、それを目の当たりにすることが時々ありますよね。

 

Kキさんに会ったらとりあえず、「いまもカメラはやっていますか?」から聞こう。卒業するとき、一緒に写真撮りに行こうね、って約束が果たされなかったこと根に持ってます。一緒に撮影会したかったです。ってネチネチいってやろう(声をかけなかった自分も、もちろん悪い)。そしてもう一度、約束をしてもいいかもしれない。

 

それから「Kキさんは同期といまも会っていますか?」その答えが“会っている”ならば、「私も同期と会いたいんだけど、どうやって声かけたらいいかわからない」って相談しよう。“会っていない”ならば「うちのゼミ生ってクールですよね」って一緒に笑おう。

 

あー今から楽しみだ。そして、次にはやっぱり緊張だ。あれ、大学生ってあいさつがハグだったところあるけど、仕事帰りの待ち合わせで飛びついたらちょっとバカまるだしだよね。ああなにもかもわからない。みんなに会いたい。

 

 

おわり

春に追いつかれた

 

 

 

ちょっと、いい感じのタイトルが思いついてしまったのだけれども中身はただの弱音。やっぱりお前、出てきたな。喘息が出てしまったのでした。

 

 

この寒暖差にまんまとやられた。春は、好きだけど、嫌いだ。

 

 

去年は2月くらいに喘息でて、2週間くらい苦しんだのだけれど、今年は一生懸命その魔の手から逃げているような感覚だった。しかし、追いつかれた。逃げ切ることができなかった。

 

 

去年はずっとずっと寒かったけど、3月末くらいに暖かくなって(桜の開花が早すぎてみんなあわてたよね)あっという間に初夏と移り変わっていった。

 

今年は、暖冬というだけあって、温かくそれとなくコートを脱いでいくのかと思いきや四月の初旬に北風が吹く気候。寒いね。セーターきたら変だけど、シャツで外出るにも寒すぎる。三寒四温という言葉はよくできていると感心してしまう。

 

 

逃げて、逃げて、風邪ひかないようにすごく頑張ったけど今年も逃げ切り失敗。(てへっ)

何もやる気が起きないのだけれど、ベッドの上で転寝を繰り返している時間は、体調が悪くならないとできないことだから。

 

 

今週はもうだめだ、諦めた。でも、来週は楽しい予定があるからどうにか回復したいところ。

 

 

喘息持ちということはもはや私のステータスであって、悲観的にもならないけど、息が苦しいということは日常生活に支障をきたすわけで、メンタルが落ち込んでいくことがわかる。こういう時にいつも思うこと。将来結婚する人は、私のこういう体調不良にとことん心配してくれて甘やかしてくれる人を捕まえるんだ♡

 

 

出産をすると体質がかわるという。喘息もその変わるものに含まれるらしい。1/3 悪化する、1/3 現状維持、1/3 よくなる 。私はこういうの現状維持が選ばれるような星のもとにうまれていると自覚があるけど、もしよくなったらうれしいなーとか願望はゆだねている。

 

 

でも、母ちゃんが定期的に具合悪くなってるほうが、子供たちにもいい教育になるんじゃないか?!子供は健康が一番だけど、病気の人の気持ちを理解する経験になるんじゃ!?とか無駄に前向きなことを考えたりもしている。

 

 

旦那さんの理想像でおさまらず、出産まで経てしまった今回の記事ですが、おなかにはお昼に食べたカップラーメンしか入っていません。

 

 

春から逃げていたが、ついに春が私においついた。今週末はとことんベッドの上で過ごそうと思う。死にはしないとわかっていても、呼吸辛いのはやっぱりつらいよ!

 

 

おわり

新元号は令和!

 

 

 

仕事中と言えど、インスタのライブ中継を見ながら新元号の発表を待つ。一生に一度か二度の瞬間、仕事中とか言ってられない。みんなもイヤホンを耳につけていた。

 

 

元号は「令和」。私の予想は「和東」「和功」だったので、和はあたったものの、頭に和ではなかったか~~!という結果に。

母音が「ヘイワ」と同じでなんかいいね。レイってなんかかわいいじゃない。生年月日書くのもRっていいな、かわいいとおもう。いや、でも15年後くらいからはR指定みたいに見えるね。気にしすぎか。

明治、大正、昭和、平成、令和、時代が積み重なっていきますね。これは、すぐに馴染みそうと思うのは気のせいか。

 

あと一か月で平成が終わる。少し前に目にした言葉なのだけれど「平成を作ったのは昭和生まれの人たちだ」その通りだ!と思いまして。「平成生まれ」のブランドが終わるのはなんか嫌だし、これからの令和生まれにやきもちやくけど、「令和を作るのは平成生まれ」の人たちです!

 

令和の「令」の漢字の意味とか、下のところがマで書くべきなのか論争を見たいと思ったのですが、サーバーが重くなっているのでいまは確認ができません。「令和」を検索すると、学者さんの名前が最初にヒットしますがそれもあと何時間のことなんでしょうね。自分の名前が元号になってしまった方(読み方は違うけど)もしかしたらまたたくまに時の人になる可能性も秘めているかもね。

 

 

そんなわけで、令和をさっきから「レイカ」とタイピングミスをしまくっているのですが、新元号を受け入れていきたいなと思います! 

 

今日の朝コンビニに行ったらおばあさんがレジだったのだけど、「クイックペイ」の支払いがわからなくて(以前はpaypayがわからなかった)、「違う支払いをできますか?」と言われた。

 

おばあさんが朝の忙しい時間にコンビニで働くことはとてもすごいことだと思う。でも、適材適所という言葉もあるわけで、お年寄りを雇うそのお店への好感はもてるものの、電車の時間が迫る時にその手間どいはなぜ定価でしか売らないコンビニを利用するのかというお客さんへの配慮がないと思う。せめてレジを二つ、三つあけるなり、忙しい時間はレジと品出しをチェンジするとか、手段があるのではないかなーと、元コンビニ店員だからこそか、思いました。

 

 

機械の故障でもないのに支払い方法をかえてくださいというのは…うん、新しいな…

コンビニに行くために10分早く家をでたというのに電車へ走ることに。あと何分早く家を出れば私は心穏やかにそのレジを待てたのかなと、器の大きさを自分で測る機会となり、結果はさんざんというわけで、時間の見込みと寛容さ、磨いていきたいと思います。

 

 

 

おわり

 

 

 

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こういう卒業の形

今週のお題「卒業」

 

 

 

「それじゃぁな。もう一生会うことねぇと思うけど元気でな」

「はい!先生もどうかお元気で」

 

 

私は、この先生と本当に一生会うことはないと思う。一生会わない、そうわかってしまう別れは初めてだった。でも、なんて清々しい。これも春の温かさのせいか、背筋がピンとのびる気持ちだった。

 

 

私は、別に高校が大好きというわけではなかった。卒業してから高校へ行ったのは一度だけで、それも「退職する」と聞いていた先生に挨拶をするために文化祭へ行ったのにその時会えなかった挙句、その年、退職もしなかったからこれを私は退職詐欺と呼んでいる。

 

 

高校に入学して一番最初の友達。出席番号が近かっただけで友達になった子がありがたいことに高校三年間に欠かせない友となり、頻繁に連絡を取り合うわけではなくてもふいに連絡を取り合うことが不自然ではない、そんな友人は大学卒業後母校に先生として舞い戻った。

そんな友人のツイートが水曜日の午後タイムラインに流れた。

 

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 「うっそ、金曜日午前休取ろうかな」

「来てきて!」

彼女は来て!と本気で言っていたのか、流れのままに行ったのかはわからない。それでも私は真に受けて、よし行こうと決めたのでした。

 

祝日の木曜日、迷惑をかけるとわかっていても、行かないという選択肢はなかった。見せろゆっか、行動力!という思いで休む連絡をした。

 

 

覚えてるかな…という不安がよぎる。言っても、高校一年生の時の担任だっただけ。しかも超がつくほど適当な人。でも、覚えてなくてもいいや!最後に会いたいと思うから行くだけだ!と気持ちを切り替える。

 

 

 

電車に乗り、バスに乗り、「あぁ、この交通費を渋って自転車片道10キロの自転車通学を頑張ったよなぁ」なんて、優雅な通学路を味わう午前10時。母校の制服を着たい生徒を見かけては微笑んでしまう25歳。車内に張られた母校の広告は、いまもまだ友人がモデルだった。

 

 

校門の前で、先生となった友人を待つ。卒業してしまうと、この門をくぐることさえ不審者になるのではないかと、もう卒業すれば他人なのだと痛いほど空気を感じた。

 

 

そして、迎えがきて門に入れば「先生!」卒業時の担任がいた。あいかわらずダルそうで、でも元気はあって、ただ白髪がめっちゃ増えていた。

「おお」すぐに名前を呼んでくれる、よく覚えてるな…感心してしまう。でも「おめぇ、何年生になったよ」

「すみません、社会人三年生終わります」

「あぁ、もう働いてんだっけか」

さすがに時空のゆがみはあるようだった。

近況を報告しつつ「実は5月で会社を辞めて、留学しようと思ってるんです」と言えば「おお、さすがグローバル。どこ行くんだよ」この先生は、私が卒業した学部までも覚えていた。

 

 

 

先生になるのも、楽しそうだったな!

純粋にそう思った。

 

 

 

ついに、目的を達成するために教官室へ入る。

 

 

 

 

いない…

 

 

 

 

 

 

「ゆっか~!いたよ!」

ソファで踏ん反り返っている先生、いた!

レゲェみたいな音楽をソファで踏ん反り返って聴いているいる先生、いた!

 

 

 

「お久しぶりです!ゆっか(フルネーム)です、覚えてますか?」

「おぅおぅおぅ、覚えてるよあたりめぇだろ、でも化粧されるとわかんねぇよ」

表情筋一切動かさないでいうんだから。

「こりゃまたきれいになって」

こういうことサラリと、言えるのも、ああ、先生だ。

「教員生活、お疲れさまでした。今日はあいさつに来ました」

 

 

 

セブンイレブンにジュース買いに行こうよ」

 

 

 

卒業するって、こういうことか。先生とコンビニ行くなんて、ちょっと変な感じ。おごられるって、変な感じ。

「昼くってねぇんだろ、好きなもんいれろ」

 

 

 

自惚れかもしれないけど、先生、私来てくれて、うれしかったでしょ!!!!!

そう思った。

でも、こうやって、精いっぱいの歓迎してくれてるという思いが伝わってきたわけだから、先生はやっぱり大人だった。

 

 

怖くて怖くて、近づきたくない教官室だったのに、「おじゃましまーす」なんて言ってずかずか入っていき、そこでご飯を食べて喋って、ゲラゲラ笑う。ちょっと物語の中みたいに気持ちのいい春の日差しが入ってくる。

 

 

先生は、サーフィンをずっとやっている人なのだけれど、それでなのか来週からは(もう今週にあたる)ソロで種子島へ行くという。離婚はしないけど、ソロで行くんだって。

私が、仕事辞めて海外へ行くと言ったら「おお、いいじゃねぇか、日本にとどまってちゃダメなんだよ。お前も(先生になった私の友達)一緒ついて行けよ」と真顔で私の選択を肯定してくれる。

 

「俺は、若いころ行ったスリランカが良かったな~」

「え、人がですか、波がですか」←真顔の先生をフッと笑わせることに成功

 

 

「先生はサーフィンの大会とかもう出ないんですか?(4月で61歳)」

「おれはもうでねぇよ、俺はもうソウルサーファーだから」

爆笑、何がソウルサーファーwwwよくもまぁこんな単語がでてくるよな。

 

 

「先生はいまおいくつなんですか」

「4月で61なるよ~でも俺は年齢は自分で決めるからいま47」

爆笑、なんで真顔で言うの。笑いすぎて、でも納得しちゃうからこの先生絶対あたまおかしい。

「そりゃそうだよ、そこらの61と一緒にされちゃこまるんだよ」

確かに、って思った友達と私の二人だけど、いや、おかしいよね?んなわけあるか(涙)

 

 

「我慢かー」友人が言った。離任式のあいさつで先生が言ったパワーワードらしい。

「んなもん嘘だよ、おれが我慢してるように見えるか?あんなん適当だよ。ぜーんぶ嘘」

爆笑、離任式で熱く語っていたであろうことのネタばらし?といいつつ、適当に話して響く話はできないであろうと私は思っている。どんな話をしたかは知らないけど。でも、在学生には見せない顔をみせられたようだ。

 

 

入学式の日、先生は「みんながいま見ているこの桜が、次に咲くときはもうこのクラスに君たちはいません。一年間はあっという間です。大切にしましょう」みたいなことをいった。あいまいだけど、桜を指して、一年間を一瞬で実感させた。素敵だなと思った。本当は、このエピソードを先生に感想文みたく「いい言葉だなと思いました」って伝えようと思っていたんだけど、絶対「おぼえてねぇよそんなこと」とかいうだろうな。適当だから、と。

 

 

だけど私は聞き逃さなかった「いいなぁ、お前ら若くて。なんでもできるじゃねぇか

心の中で「先生かよ」って突っ込む。先生なんだよなぁ、こんな人でも。

 

 

 

「もし挫折したとしても、行動したって事実が欲しいからとりあえずがんばります」

「大丈夫だよおめぇは」

この、根拠のなさすぎる励ましに涙腺がゆるむ。

 

 

 

帰り際「オーストラリアいったら、車借りて絶対一周しろよ」

なんのミッション(涙)でも、なんでこれをいつか達成してしまうって思えてきちゃうんだろうね。

「必ず成し遂げます!」

 

 

高校に入った時。滑り止めの高校だったこともあり、学力がその学校では上位だったこと。「お前、塾いけ、無理だよこの学校でお前の今以上の力伸ばすのは」入学直後、うれしいような、学費払ってんだぞオイ!って思った気持ち。でも、このクレイジーティーチャーはこうやって私の気持ちを乗せるのが上手だった。

 

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もう一生会うことねぇと思うけど元気でな

 

 

 

本当に、一生会うことはないんだろうな。直感がそういう。

友人も、先生としての勤務はこの日までだった。

彼女がいないなら、私はもうここへ来ることはない。

5年後、校舎は新しくなるらしい。

 

 

こういう卒業という形もあるのだと。

 

 

「はい!先生もどうかお元気で」

 

 

 

 

教官室をでて「なんか、泣けるね」「わかる」

恩師かといわれたらそうじゃない、そう思う。でも、一生忘れられない先生で、そして最後に会いたい、会わなければと思える先生だった。それを恩師というとは限らないけど、え、恩師になるの?それはさておき、きっと来るべき時にこれたのだと思う。

 

 

「葬式で会えるじゃねぇか」他の先生が言ったこの言葉は黙っておこう。

こういうブラックジョークが本当にそう遠くない未来なのだと思う。

怖すぎた先生たちも年をとっていくのだと思った。

 

 

 

 

友人と、校舎を少しまわる。一緒に過ごした教室とか、渡り廊下を挟んで手を振っていたことの再現とか、好きだった場所とか、購買とか。今年の卒業生の進路先をみて、私が一番最初にはいった学部に後輩は今年も入学するみたい。もう何年のバトンになったかな。結構うれしい。

 

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「好きだった場所」で友人が喋った。あの頃みたく日向ぼっこしながら。

 

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「先生続けられたかもしれないんだけど、ゆっかだったらどうした?」

もうやめることが決まっているのに、とんだ弱音だ。

「いま私の意見聞いたところでどうにもならんでしょ!」

「だよねぇ」

「でもっーーーーーーーーーーーーーーーーー」

ちょっとおセンチにならないと話せないことを、本当に本当にあったかい春のお天気の元おしゃべりしていたらピピピピピっとアラームがなる。昔は休み時間が終わるギリギリまで粘っていたから廊下を猛ダッシュしていたけど、少し余裕を持って、終わりの時間を知らせてくれる。

 

 

「そろそろ行くわ」午前休しかとっていなかったから、出社の時間が迫っていた。

二人で私が乗るバスを待っている時には、もういつも通り。

なのに、ここから見る景色はもう最後だと思うと、ついつい写真に残しておきたくなる。

 

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滑り止めの高校だった。もっともっと行きたい高校があった。でも、この高校に入ってよかった!この高校に来るべき人生だった!そう思える高校だった。

 

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本当は「教員生活お疲れさまでした」と一緒に「一年生の担任が先生で本当によかったです」そうい言おうと思ってた。でも、言わなくていっか!ってなっちゃった。言えなかった後悔はない!何でもかんでも言葉にすればいいってもんじゃない、言葉にする方が安っぽくなることもある。高校生活が楽しかったのは、担任が誰だったからとかじゃないよね、先生が退職するからってきれいごと並べるのも失礼だ!会いに行くこと、それが私の感謝の形でした。うん!まとまった!

 

 

「よし、がんばるぞー!」そう思って、いつもの通勤ルートに修正し、私は出社していった。

 

 

よし、がんばるぞー!

 

 

 

おわり

 

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