ちょっと覚えておきたいそんなこと。

Twitterじゃどんどん流れるし、Instagramほど映えるものでもないし、Facebookに投稿するには些細なこと過ぎるような行き場のないちょっと面白かったことを書きます。

さらりと社会復帰報告

 

やっほぉ、ゆっかだよ。

ところでいきなりですけど、12月に再就職しました。

 

shirokuma-yu.hatenablog.com

 

 まだのんびりしたり、フリーランス的ななにか目覚めを期待したりもしたかったのだけど、シンプルに貯金が尽きた。

 

なので、とりあえず就職活動をしてみたところ「お、ここいいな」とおもったところへとんとん内定。

 

 

給料もいくらになるかわからずとりあえず就職してしまった。

 

 

結果は、一番避けたかった「みなし残業」スタイルの給与形態で、

時給換算するとめまいがする、前職よりぐっと給料が下がってしまった。

 

 

わたしは基本的にお金が欲しい人間だし、金欠というイメージを持たれている確率はだいぶ高い。

 

(金欠というのにはまぁ言い訳をだいぶしたいところなのだけど、口座にはいっていないという意味では抗いようなく金欠なのでしぶしぶ受け入れようとしましょう。)

 

 

給料が減ったんで入社直後はだいぶ落ち込んでいたのだけれど

前職をやめた際に一番のストレスであったセクハラ・パワハラまがいをかます男性社員の存在。

その可能性を持つ男性社員がいない職場となり、心がとても清らかなのは、前職より下がった給料分で買っている環境なのかなぁと感じている。

 

 

辞める間際は、名前を呼ばれる際の低い声もストレスに感じていたので、

お金が全てでは無い・・・といまの落ち着いた日々の中で感じられている。

 

 

とはいえ、仕事の合間で転職サイトのチェックは欠かしていない。
いまの会社での仕事はとても楽しいけれど、

ここでの仕事は社会復帰へのリハビリだと思っていて、

よくしてもらっているのをいつか裏切るのかと思うと辛すぎるけど、ここはやっぱり人生一度きり、やりたいことをやろうという希望をすてるわけにもいかない。

 

 

 システムエンジニアから、いま出版業界へ飛び込んだ。
転職サイトはIT業界からのスカウト通知が止まらない、でも出版業界は憧れていたこともあり楽しいでしかない。でもテキストしか触らないようなPC使用はどこか物足らなさを感じているのも事実。

 

わたしはいったい何がしたいのだろう。

自己分析やら職種分析(?)をじっくり、答えを探しながら、

次はあまり急ぎすぎない転職活動にしたいなと心に誓う。

 

 

というわけで貯金尽きて就職したわけなので、

当分、やっぱり金欠です。

付き合い悪いとおもいます、ごめーんね

あけおめ、2020年になったね

 

 

あけましたねみんなおめでとうございます。

 

今年も初日の出を観に行ってきたんだけれど、

ちょっともうね、4年目?5年目?の初日の出、海岸沿い寒すぎて無理!!!と弱音をバネに室内から海を見られる場所を!!!見つけました!!!

(あと今年は九十九里沿いが曇り予報だったこともあり)

 

 

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朝3:30に出発して、茨城県の日立へ向かいました。

 

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そうね、九十九里沿いは今年本当に見られなかったらしくて拝めた、という点では◎

だがしかし、毎年海岸沿いでみている初日の出の迫力は、やっぱりガラス越しには得られなくて、寒いって震えあがる対価があるのだなぁと学びました。

 

 

でもね、日立駅はなかなかよかった。

もう少し早く来ればカフェのカウンター越しに朝日が見られるし(定員オーバーで今年は入れず)、駅員さんたちからのお年玉!

 

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甘酒苦手なんだけど、思わずのんでしまつたよね。あったかくて、、、でもまだ美味しい、とは思えなかった。おかあに飲んでもらった。

 

 

2019年末、というか12月に色々ありすぎて

今が多分とってもしんどい時みたい!

だって吐きそうになるんだよ?!メンタルwww

 

 

でも家族で踏ん張って「初日の出みにいかなぁ〜」とルーティンを無でこなすことでリセット、、とまではいかないけれど(だって月がかわっただけだもん、と考えてるタイプ)見にいけてよかったなと思ふ。

 

 

InstagramでもTwitterでも絶対に言わないけどさ

2020年彼氏が欲しい。

 

できればとびきり優しくて

呆れられるくらいわたしを甘やかしてくれるような人。

 

もう少ししたらもう少しだけ面白い記事が書けると思うのでまた遊びにきてね。

あひるの空を再読しながら思い出した荷物運びのこと

最近、あひるの空のアニメ放送がはじまって、あひるファンとしては見なければと思い一応見ているんだけど、やっぱり漫画には敵わない。どうしたって原作は超えられない、仕方がない。

 

私はバスケ部だったこともあるし、バスケをするし、バスケが好きだ。

だからあひるの空を読んでて被るなぁーと思うまではなくてもこんなだったなーと思いを馳せることくらいある。結構ある。

 

でもこの前ふと、思い出した部活時代のワンシーンは

金曜日の部活終わりに明日の練習試合に備えてそれぞれボールや、ボールカゴ、作戦板とか色々持ち帰らなければならなかった。まぁよくある話だと思う。

 

私の同期は4人しかいなくて、バスケをやっているにしては身長には恵まれないチームだった。その中で1番恵まれなかったのは私なわけだけど、私が持ち帰るものはいつもサイズが小さいものだったなと。

 

ボール3つかサイズは小さいけど重量のある作戦板のどちらか。

 

それで1番大きいボールカゴはいつもMキやAヤが持って帰ってくれてたような気がする。1番大きいのなんて、順番でもおかしくないはずだったのに。

 

決して仲の良い同期ではなかった(同期同士で仲良くないよねーっていうのがもはやネタ)し、気も強い同士だったし、それでも6年間同じチームだっただけあるコート内でのコンビネーションはあのチーム以上に感じられる場所は未だ無い。うん、そればかりは仕方ないと割り切っているのだけれど。だって毎日毎日毎日飽きもせず一緒にバスケしていた。大人になって毎日バスケをする場所なんて、無いよねぇ。

 

小さくない、が口癖。実際に小さくはないと思う。でもバスケ部では小さかった私は下痢ツボを押されながらもこんな些細なところで守られていたんだなぁなんて思い出してしまっている。ああ小さくてよかった。あんなでかいやつ持って、エナメル背負って自転車に跨る。無理無理。本当に、今更だけど、ありがとうね。

 

私たち、チームとして上位ではなかったけどさ、強くなり続けたよね。先輩に勝って先輩たちがダッシュしてるの見るのさ、気まずかったよね。でも負ける気しなかったよね。バスケでメダル取れなかったくせに、陸上部になりすまして出場した市内の駅伝大会メダル取れたよね。走り方知らないくせに、走り続けることだけは出来たんだよね。ユニフォームダサかったけど、自分たちの背番号があってさ、ベンチも並んで座ってて、途中からコートネームで呼び合うの照れたけど、相手が私たちのコートネームに慣れた瞬間、教室での呼び方に戻して相手を欺いたあのゲーム最高だった。それと、小さいチームならではの、とにかくスリーポイント打っちゃうスタイル、今の社会人バスケでまじで通用しない(笑)どうしてくれる。でも、気持ちよかったよね、ゴールに吸い込まれるロングシュート。今日は誰があたりか。あたりの人にボールを集める、シュートを打てば打つだけ確率も上がっていく。

 

あひるの空読んでるとさ、別に仲良くなかったはずの君達とのバスケが恋しくてたまらないよ。仲良くなかったから今、みんながバスケやってるのかすらも知らないけどさ、ふふ。いつかやろう、なんてこと言ったって実現できる気すらしないんだけど、会いたいなぁなんて悔しいけど思っちゃうよ。

 

私たちがバスケやってるときは、まだあひるの空発売したばっかりだったのにね。今もう50卷超えたよ。

お久しぶり、赤髪のニートちゃんだお

やぁ、みなさんお久しぶりです。

お久しぶり、といえるのには訳がある。

 

こんなに更新していなかったというのにアクセス数が滞ることがないのだ!!こんな嬉しいことある?ありがとう、ありがとう。

 

梅雨眠に入ると言って一旦お休みしていたブログ。季節のめぐりは早いもので木枯らしが吹こうとしている10月末。ニットを着て、新しいブーツがほしいなぁと毎朝玄関で思っている毎日。

 

わたしいま、ニートやってます。

 

話すといろいろ長く…も別にならないんだけどそんなに面白くないのでそのうち辞めた理由の2つくらいに当てはまるセクハラやパワハラの話を面白く話すとして、今日はニートだからできたボランティアの話をしようと思う。

 

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斉木楠雄かって。しってる?斉木楠雄。漫画。

漫画も映画と見たことないけど、インパクトでしってるだけだけど、斉木楠雄かって。

 

美容師さんのコンテストにモデルとして参加してきました。

 

こんな髪色も、ど平日の日中帯参加も、ニートじゃなきゃできないでしょう?いい経験をしてきました。

 

私の妹が美容師なのだけど、あ、今回は妹なんの関係もないんだけどね、妹がいつもモデル探し大変そうだから道で声をかけられたりしてもなるべく答えてあげたいという気持ちが強くて強くて、今回もそういう感じで引き受けたらまあびっくり。

 

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髪色も、切るのも自由にどうぞって感じでフルオーダー!人生でこな髪色だったこともあるんだよ、とネタ作りに体を張った気分。

 

でもね、衣装も準備してもらって「モデル」っていままでマネキンとして頭を貸してあげるって程度だったんだけど、待機場所が楽屋みたいなところで「モデル」になった気分を味わえてとても気分が良かった!

 

妹にはいつも「いつでもモデルやってあげるよ!」と協力姿勢というよりもモデルやってみたいという願望を叶えるためのセールス感覚で声をかけていたのだけど「Aランクって本当にAランクだからごめん」とモデルとして眼中にない宣言を受けてへこんでいた。

 

クリクリの二重だし、カラコンしていると思われるくらい黒目大きくて3人に1人は私をハーフだと思う美人かかわいいでいえばかわいい系の顔立ちなのに、バランスをみるとやっぱり目だけがかわいいだけで、太っても痩せてもない普通体型の、現実的に言い換えるとモデル業界でいうぽっちゃりで、特別足が長いわけでもない日本人の平均身長である街を歩いても振り返られるほどのオーラは纏っていない、はっきりいってABCランクのC以下判定を受けた私だったけれど。

 

はぁ、深呼吸。私かわいいもん!なんて飲み会で調子乗るタイプだけどここぞとばかりに自覚症状を暴露したらなんだか虚しくなってきた。

 

でも、今回妹が働いている業界を垣間見れたような気がする。美容師の感性とか、勝負の世界とか、かっこいい単語が出てこないんだけど、私のいたIT業界とは訳が違うよね、男性のみなさんだいたいピアスだし。

 

残念ながらこのピンク髪は入賞できなかったんだけど、会社員時代には経験できなかった表情というハラハラドキドキ感が新鮮で、担当してくれた美容師さんには「楽しみにしています」「期待してます」「よろしくお願いします」という受け身なマネキンだったのだけど、終わった時はとても残念な気持ちになったし、心のどこかで入賞できるんじゃないかという期待をしてしまっていた。自分がモデルだからとかじゃなくて、シンプルにこの作品が個性的で、審査員の目に留まっている、、ような気がしていたから。

 

ところでニートである話をほとんど触れていませんが、失業保険との兼ね合いもあり今すぐ就活の鬼になる予定はありません。でもシステムエンジニアに戻るつもりもないので自己分析的なことをして自分のやりたいことを探していきたいなと思っています。クリエイティブなことがやりてぇなぁ、くらいには漠然と考えてるんだけど、福利厚生とか基本給与とか就労時間とかの条件が私の中で譲れないもの多すぎて厄介な就活にはなりそうです。でも妥協はしたくない、いまはその想いだけが大きすぎて大きすぎて、どこかでコケそう。ということで貯金を切り崩して生きているのであまりアクティブにはいきませんが、仕事辞めてから今日まで、面白いことをしてたので少しずつおしゃべりたいと思います。またこのブログに遊びにきてね〜!

梅雨眠はいるので7/15位まで投稿おやすみします。

 

 

 

7/15(月)くらいまで、投稿休止します!

この日以降、とびきり面白いことを書いていくので

また読みにきてくれたら嬉しいです。

 

報告みたいな、偉そうなことすみません。

投稿していないにも関わらず

訪問者数が一定なのが嬉しいことと

心苦しさのため。

 

海の日まで、しばし梅雨眠!

 

 

投稿再開したらこの記事は消します。

 

 

朝から遊ぶということ

 

 

 

GWのことを書いていた記事が消えて、意気消沈していました。上書き保存、大切。

 

 

 

気を取り直して、この土日の話を少し聞いて。

相変わらず、動画の撮影をしています。

 

 

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体力お化けの子供達が沸いている公園で、私たちも全力で走って踊って、けらけら笑っている。

 

無駄なことはない、お祝いの気持ちでいっぱいなのだけれど、なんだろう、こういうことに夢中になれる、一生懸命は楽しいなと感じる幸福感といったら。

 

 

この日の夜の私の眠りは最高だった。深く深く眠りに落ちた。まるで電池が切れた子供のように、夜になったら瞼が重たくなった。

 

このプロジェクトもいよいよ終わりに近づいてきた。楽しい時間の終わりを意識するが、本番はこれから。見せたい人がたくさんいるなぁ。

 

 

おわり

 

 

平成まとめ

今週のお題「平成を振り返る」 

 

 

元号なんていらないでしょ、とは思うけれど、それでも元号はあるわけで、その元号が変わる瞬間は少しわくわくする。ということで、平成まとめ。私が生まれたのは平成で、私はまだ平成しか知らない。

 

 

 

記憶にある私の一番最初の将来の夢は「ゴミ屋さん」だった。平成9年あたりのこと。そのころ、ゴミ収集車はゴミを収集する人が後ろに捕まって、助手席に戻るという手間を省いていた。その車の後ろに捕まって乗りたくて、私はゴミ屋さんになりたかった。でも、いまはきっとそれは絶対にNGなのだろう、その姿をみることはまずない。絶対に危なかったと思うけど、それをNGにしたのは時代だと思う。

 

 

私のは、家の近くの(いまは無き)商店みたいなところで、たばこだった。忘れもしない、セブンスターは250円だった。親の買い物をみて、一番右側にあるたばこだと覚えていたけど、帰り道にそのたばこを見て、数字の7が★の文字でできているのに気づいたときは大発見をした気持ちになった。いまはたばこの値段は500円近いし、そもそも子供がたばこを変える時代ではなくなった。たとえ親の買い物だとわかっていても、だ。

 

 

小学校の周りにあった3つの文房具屋さん。駅前に一つ、学校の近くに二つ。一番学校に近い文房具屋さんのお店の人はめちゃめちゃ怖かったけど、たまに優しくてそれもまた怖かった。シャーペンの芯を買いに行って、「これ0.3mmだけど大丈夫?」と聞かれたことで、シャーペンの細さの存在を知った。いま、その3つの文房具屋さんはすべてなくなっていて、文房具屋さんも一つしかない。

 

 

100円を握りしめて、その100円でいかに駄菓子を食べられるか、100円の大当たりやブタメンの当たりがでて喜んでは、もったいなくて使えず、もしかすると何かのカンカンとかから出てくるかもしれない、何気ない日常がつまった駄菓子屋。中学生、高校生になるにつれて行ってはいけない場所になってしまった気がして、でもそれは世代交代なんだと言い聞かせていたけれど気づいたらその駄菓子屋は閉まっていた。でも今も時々近所を犬と散歩している駄菓子屋のおじちゃんは、クレヨンしんちゃんの園長先生みたいな風貌は変わらないし、散歩している犬のコーギーは尻尾がとても長くて(コーギーは尻尾を切ってしまうのは有名)後姿をさりげなく盗撮してしまったのはここだけの話。そうそう、今これを書いて思い出したけど、大学生になってから地元のみんなとBBQをするときに集合場所にしたのはこの駄菓子屋の前だったのが、今思うと「共通」の跡地だったことがくすぐったい。私のお父さんも駄菓子屋には行っていた。その時はもんじゃや、ところてんを食べていたようだけども、私はラムネやグミを食べていた。いまの小学生たちはみんな、手も洗わずに、傍から見ればバレバレの、でもその子たちにとっての秘密基地、隠れ家では何を食べているのだろう。

 

 

いま、平成何年だったかなと調べてみて驚いた。平成15年にバスケットボールをはじめて、いま平成31年、いまもバスケをしている。気づいたら15年、平成5年から生き始めたわけだけども、平成の半分は私がバスケをしていた期間になる。ブランクも所々あるけど、これには少し驚き。変わらないこともあるみたい。令和になろうと。

 

 

平成の間に、幼稚園にはいり、小中高、大学と入学卒業を繰り返してきた。たくさんのことが変わって、世の中の常識も変わって、気づけば年下の人間が世の中にはあふれていて、コンビニのペットボトルの値段もアイスの値段もどんどん上がり、パックのジュースは容量が減ったし、暑かろう寒かろうが部活をするのが当たり前だったけれども、気候の変化で部活規制が設けられてしまった今日。私たちよりもう一昔前の人たちは部活中の飲み物を飲むことが規制されてたと言うもんだから、私は私の生きた時代が一番生きやすいんじゃないかと思う。でも、それはどの時代を生きた人も自分の時代をひいきにするのだと思うけど。

 

 

私は平成が大好き。ゆとり世代をバカにされようと、私が私になったのはゆとり教育の賜物で、私にはあっていた教育だと勝手に感謝している。AKB世代を生きたことが嬉しい。嵐の全盛期を見ていたことはきっとこれから先、今私がバブルを語る大人を少し小ばかに見てしまうように、見られる側になっていくのだと思う。

 

 

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元号はめんどくさい。会社で使うのもポチポチ手書きで修正しているのも意味が分からない。でも、手書きで書き直しているとなんだかさみしい気持ちにもなってくる。西暦だけで日本が回ればいいのに。時代の節目がなくなればいいのに。でも、いまそんなこと言っても仕方がないので、平成がナウから歴史になる瞬間、そして平成うまれが作る令和時代を信じて、明日ばあちゃんちに行ったらお決まりのネタを聞こうと思う。

 

「今って、昭和何年?」

 

 

これが、すんなり返事返ってくるのがいつも面白くて聞いてしまう。

みなさんのおじいちゃん、おばあちゃんにも聞いてみては?意外と、数えているかもしれませんよっ

 

 

おわり