ちょっと覚えておきたいそんなこと。

Twitterじゃどんどん流れるし、Instagramほど映えるものでもないし、Facebookに投稿するには些細なこと過ぎるような行き場のないちょっと面白かったことを書きます。

面白い記事を見つけたので私の家庭の教育を振り返ります。

 

 

この記事。

学校を休ませて旅行へ行くこと。

topisyu.hatenablog.com

 

私は賛成。ただし、条件を付けたい。勉強に遅れていないこと。勉強が苦手な子だったら休ませることはしない。まだいない我が子よ。でも、学校の授業に問題なくついていってるなら休んでもいいんじゃないかなと思う。いや、掛け算が覚えられないって泣いててもそれはそれで旅行に連れて行きたくなるかもしれない…

 

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※なんとなく小学生の頃の写真を貼ってみます

まっすぐ歩けない小学生

 

 

私の家は、義務教育が終わった瞬間めちゃめちゃゆるくなった。つまり、高校生の時。

朝「ゆっか、今日雨凄いけど学校行くの?行かないの?」と母に起こされ「行かない」と言えば学校に電話をして休みを伝えてくれていた。※親が連絡しないといけない私立高校だった。

 

それはそれは最初のうちびっくりした。「そんなんありかよ!?」でも、こういうゆるさになったのにも決定的な要因がある。

 

高校の時の成績が恐ろしく良かった。別に全力進学校でもなかったし、第一志望の高校じゃなかったから、目標にしていた高校より偏差値が低く、第一志望に行くためにものすごく勉強していた貯めが最高によかった。

「眠り姫のゆっかちゃん」と授業中起こされる始末だったが、テストでのみ成績を付けてくれる学校は私にとても合っていたらしい。寝ていて授業の内容において行かれても、家帰って教科書開いて自分で勉強するやり方がすっかりはまった。キラキラ進研ゼミ生ですな。

 

だから、雨が降って学校へ行かなくても私は自分で勉強をしていたし、成績も維持していた。そういう私のスタイルも含めて、母は「学校を休む」という選択肢を与えてくれた。

 

この点で私は学校を休むことで生産性が上がるわけだったし、この記事でいえば学校を休むことで見たことのない景色や出会い(海外旅行にでも行けば人生変わる刺激も多いだろうね)があるなら、どんどん休ませたいね。

私の友達も、お父さんの出張に合わせて休む子もいたし、ハワイに行くっていって、宿題いっぱい出されてたけど休んでいる子もいたし。

掛け算を覚える授業だけなら、旅行中の車内で一緒に覚えよう!って私は思う。

子供が大人になった時、「掛け算はさ~アメリカのルート66で覚えたよね」なんて会話、理想かよ!!!!!!最高かよ!!!!!

 

続けて理由2つ目。私の性格はクソがつくほど大真面目。

この「学校をさぼる」という一見聞こえは悪いが、人生において力を抜くこと、サボること、逃げることを教えてくれた我が家の最高の教育だったと思ってる。

因みに私の妹は私の正反対の人間なので、学校をさぼる選択肢は与えられなかった。「学校へ行け」ただその一言に尽きた。

 

ただ、休ませてくれなかったとある一日のことを、少し靄がかかりつつも忘れられない出来事もあった。

小学生のあるある、「ある日突然無視される対象になる」ってやつ。あの時は学校に行きたくなくて行きたくなくて、泣いて休みたいと訴えた気がする。でも玄関から引きずり出された記憶がある。「学校へ行け」。思い出したくなくて曖昧な記憶なのか、もう風化してるだけなのかわからないけど、ドキュメント映像に出てきそうな玄関先でのバトルシーン。

そのあとのことは覚えてないけど、結論あの時学校へ行ってよかったということ。この一瞬の出来事をいじめられたことはある、ってカウントはしてないけど、もしあの日学校に行ってなかったら不登校時代に突入していたかもね。お陰様で、いじめられることなく学生時代はいつの間にか終わっていたけど、子供の「休みたい」をすべて許すかどうかはまた違う問題かなと思います。

 

 

結論、学生は勉強が本業であって、「勉強ができないくせに旅行している」と周りに思われるならなしかな。「なんで旅行いってんのに勉強できるんだろう」という、学校を休んだ代償が常にプラスにしか働かない(そしたら代償って単語が違うかな?)駆け引きが大事かなと思う。

 

休んでも、誰にも迷惑をかけないことが大事ですね。ということで、私はもう大人で有給という素晴らしいものを手にしたのでしっかり休んでリフレッシュしていこうと思います!

子供の教育について考えるのはまだ少し先になりそうです。

 

 

おわり