ちょっと覚えておきたいそんなこと。

Twitterじゃどんどん流れるし、Instagramほど映えるものでもないし、Facebookに投稿するには些細なこと過ぎるような行き場のないちょっと面白かったことを書きます。

こういう卒業の形

今週のお題「卒業」

 

 

 

「それじゃぁな。もう一生会うことねぇと思うけど元気でな」

「はい!先生もどうかお元気で」

 

 

私は、この先生と本当に一生会うことはないと思う。一生会わない、そうわかってしまう別れは初めてだった。でも、なんて清々しい。これも春の温かさのせいか、背筋がピンとのびる気持ちだった。

 

 

私は、別に高校が大好きというわけではなかった。卒業してから高校へ行ったのは一度だけで、それも「退職する」と聞いていた先生に挨拶をするために文化祭へ行ったのにその時会えなかった挙句、その年、退職もしなかったからこれを私は退職詐欺と呼んでいる。

 

 

高校に入学して一番最初の友達。出席番号が近かっただけで友達になった子がありがたいことに高校三年間に欠かせない友となり、頻繁に連絡を取り合うわけではなくてもふいに連絡を取り合うことが不自然ではない、そんな友人は大学卒業後母校に先生として舞い戻った。

そんな友人のツイートが水曜日の午後タイムラインに流れた。

 

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 「うっそ、金曜日午前休取ろうかな」

「来てきて!」

彼女は来て!と本気で言っていたのか、流れのままに行ったのかはわからない。それでも私は真に受けて、よし行こうと決めたのでした。

 

祝日の木曜日、迷惑をかけるとわかっていても、行かないという選択肢はなかった。見せろゆっか、行動力!という思いで休む連絡をした。

 

 

覚えてるかな…という不安がよぎる。言っても、高校一年生の時の担任だっただけ。しかも超がつくほど適当な人。でも、覚えてなくてもいいや!最後に会いたいと思うから行くだけだ!と気持ちを切り替える。

 

 

 

電車に乗り、バスに乗り、「あぁ、この交通費を渋って自転車片道10キロの自転車通学を頑張ったよなぁ」なんて、優雅な通学路を味わう午前10時。母校の制服を着たい生徒を見かけては微笑んでしまう25歳。車内に張られた母校の広告は、いまもまだ友人がモデルだった。

 

 

校門の前で、先生となった友人を待つ。卒業してしまうと、この門をくぐることさえ不審者になるのではないかと、もう卒業すれば他人なのだと痛いほど空気を感じた。

 

 

そして、迎えがきて門に入れば「先生!」卒業時の担任がいた。あいかわらずダルそうで、でも元気はあって、ただ白髪がめっちゃ増えていた。

「おお」すぐに名前を呼んでくれる、よく覚えてるな…感心してしまう。でも「おめぇ、何年生になったよ」

「すみません、社会人三年生終わります」

「あぁ、もう働いてんだっけか」

さすがに時空のゆがみはあるようだった。

近況を報告しつつ「実は5月で会社を辞めて、留学しようと思ってるんです」と言えば「おお、さすがグローバル。どこ行くんだよ」この先生は、私が卒業した学部までも覚えていた。

 

 

 

先生になるのも、楽しそうだったな!

純粋にそう思った。

 

 

 

ついに、目的を達成するために教官室へ入る。

 

 

 

 

いない…

 

 

 

 

 

 

「ゆっか~!いたよ!」

ソファで踏ん反り返っている先生、いた!

レゲェみたいな音楽をソファで踏ん反り返って聴いているいる先生、いた!

 

 

 

「お久しぶりです!ゆっか(フルネーム)です、覚えてますか?」

「おぅおぅおぅ、覚えてるよあたりめぇだろ、でも化粧されるとわかんねぇよ」

表情筋一切動かさないでいうんだから。

「こりゃまたきれいになって」

こういうことサラリと、言えるのも、ああ、先生だ。

「教員生活、お疲れさまでした。今日はあいさつに来ました」

 

 

 

セブンイレブンにジュース買いに行こうよ」

 

 

 

卒業するって、こういうことか。先生とコンビニ行くなんて、ちょっと変な感じ。おごられるって、変な感じ。

「昼くってねぇんだろ、好きなもんいれろ」

 

 

 

自惚れかもしれないけど、先生、私来てくれて、うれしかったでしょ!!!!!

そう思った。

でも、こうやって、精いっぱいの歓迎してくれてるという思いが伝わってきたわけだから、先生はやっぱり大人だった。

 

 

怖くて怖くて、近づきたくない教官室だったのに、「おじゃましまーす」なんて言ってずかずか入っていき、そこでご飯を食べて喋って、ゲラゲラ笑う。ちょっと物語の中みたいに気持ちのいい春の日差しが入ってくる。

 

 

先生は、サーフィンをずっとやっている人なのだけれど、それでなのか来週からは(もう今週にあたる)ソロで種子島へ行くという。離婚はしないけど、ソロで行くんだって。

私が、仕事辞めて海外へ行くと言ったら「おお、いいじゃねぇか、日本にとどまってちゃダメなんだよ。お前も(先生になった私の友達)一緒ついて行けよ」と真顔で私の選択を肯定してくれる。

 

「俺は、若いころ行ったスリランカが良かったな~」

「え、人がですか、波がですか」←真顔の先生をフッと笑わせることに成功

 

 

「先生はサーフィンの大会とかもう出ないんですか?(4月で61歳)」

「おれはもうでねぇよ、俺はもうソウルサーファーだから」

爆笑、何がソウルサーファーwwwよくもまぁこんな単語がでてくるよな。

 

 

「先生はいまおいくつなんですか」

「4月で61なるよ~でも俺は年齢は自分で決めるからいま47」

爆笑、なんで真顔で言うの。笑いすぎて、でも納得しちゃうからこの先生絶対あたまおかしい。

「そりゃそうだよ、そこらの61と一緒にされちゃこまるんだよ」

確かに、って思った友達と私の二人だけど、いや、おかしいよね?んなわけあるか(涙)

 

 

「我慢かー」友人が言った。離任式のあいさつで先生が言ったパワーワードらしい。

「んなもん嘘だよ、おれが我慢してるように見えるか?あんなん適当だよ。ぜーんぶ嘘」

爆笑、離任式で熱く語っていたであろうことのネタばらし?といいつつ、適当に話して響く話はできないであろうと私は思っている。どんな話をしたかは知らないけど。でも、在学生には見せない顔をみせられたようだ。

 

 

入学式の日、先生は「みんながいま見ているこの桜が、次に咲くときはもうこのクラスに君たちはいません。一年間はあっという間です。大切にしましょう」みたいなことをいった。あいまいだけど、桜を指して、一年間を一瞬で実感させた。素敵だなと思った。本当は、このエピソードを先生に感想文みたく「いい言葉だなと思いました」って伝えようと思っていたんだけど、絶対「おぼえてねぇよそんなこと」とかいうだろうな。適当だから、と。

 

 

だけど私は聞き逃さなかった「いいなぁ、お前ら若くて。なんでもできるじゃねぇか

心の中で「先生かよ」って突っ込む。先生なんだよなぁ、こんな人でも。

 

 

 

「もし挫折したとしても、行動したって事実が欲しいからとりあえずがんばります」

「大丈夫だよおめぇは」

この、根拠のなさすぎる励ましに涙腺がゆるむ。

 

 

 

帰り際「オーストラリアいったら、車借りて絶対一周しろよ」

なんのミッション(涙)でも、なんでこれをいつか達成してしまうって思えてきちゃうんだろうね。

「必ず成し遂げます!」

 

 

高校に入った時。滑り止めの高校だったこともあり、学力がその学校では上位だったこと。「お前、塾いけ、無理だよこの学校でお前の今以上の力伸ばすのは」入学直後、うれしいような、学費払ってんだぞオイ!って思った気持ち。でも、このクレイジーティーチャーはこうやって私の気持ちを乗せるのが上手だった。

 

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もう一生会うことねぇと思うけど元気でな

 

 

 

本当に、一生会うことはないんだろうな。直感がそういう。

友人も、先生としての勤務はこの日までだった。

彼女がいないなら、私はもうここへ来ることはない。

5年後、校舎は新しくなるらしい。

 

 

こういう卒業という形もあるのだと。

 

 

「はい!先生もどうかお元気で」

 

 

 

 

教官室をでて「なんか、泣けるね」「わかる」

恩師かといわれたらそうじゃない、そう思う。でも、一生忘れられない先生で、そして最後に会いたい、会わなければと思える先生だった。それを恩師というとは限らないけど、え、恩師になるの?それはさておき、きっと来るべき時にこれたのだと思う。

 

 

「葬式で会えるじゃねぇか」他の先生が言ったこの言葉は黙っておこう。

こういうブラックジョークが本当にそう遠くない未来なのだと思う。

怖すぎた先生たちも年をとっていくのだと思った。

 

 

 

 

友人と、校舎を少しまわる。一緒に過ごした教室とか、渡り廊下を挟んで手を振っていたことの再現とか、好きだった場所とか、購買とか。今年の卒業生の進路先をみて、私が一番最初にはいった学部に後輩は今年も入学するみたい。もう何年のバトンになったかな。結構うれしい。

 

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「好きだった場所」で友人が喋った。あの頃みたく日向ぼっこしながら。

 

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「先生続けられたかもしれないんだけど、ゆっかだったらどうした?」

もうやめることが決まっているのに、とんだ弱音だ。

「いま私の意見聞いたところでどうにもならんでしょ!」

「だよねぇ」

「でもっーーーーーーーーーーーーーーーーー」

ちょっとおセンチにならないと話せないことを、本当に本当にあったかい春のお天気の元おしゃべりしていたらピピピピピっとアラームがなる。昔は休み時間が終わるギリギリまで粘っていたから廊下を猛ダッシュしていたけど、少し余裕を持って、終わりの時間を知らせてくれる。

 

 

「そろそろ行くわ」午前休しかとっていなかったから、出社の時間が迫っていた。

二人で私が乗るバスを待っている時には、もういつも通り。

なのに、ここから見る景色はもう最後だと思うと、ついつい写真に残しておきたくなる。

 

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滑り止めの高校だった。もっともっと行きたい高校があった。でも、この高校に入ってよかった!この高校に来るべき人生だった!そう思える高校だった。

 

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本当は「教員生活お疲れさまでした」と一緒に「一年生の担任が先生で本当によかったです」そうい言おうと思ってた。でも、言わなくていっか!ってなっちゃった。言えなかった後悔はない!何でもかんでも言葉にすればいいってもんじゃない、言葉にする方が安っぽくなることもある。高校生活が楽しかったのは、担任が誰だったからとかじゃないよね、先生が退職するからってきれいごと並べるのも失礼だ!会いに行くこと、それが私の感謝の形でした。うん!まとまった!

 

 

「よし、がんばるぞー!」そう思って、いつもの通勤ルートに修正し、私は出社していった。

 

 

よし、がんばるぞー!

 

 

 

おわり

 

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