ちょっと覚えておきたいそんなこと。

Twitterじゃどんどん流れるし、Instagramほど映えるものでもないし、Facebookに投稿するには些細なこと過ぎるような行き場のないちょっと面白かったことを書きます。

最近のブログは違う面白みがある

 

 

 

3000字越えの記事を書くと「文字をタイプしたい!」という欲求がすべて消化されるようだ。だいたい3日間くらいは欲求が満たされた状態になる。しかし、ただ生きてるだけでも書きたいことは増えてくばかりで、下書き保存は書きたいと思ったことを覚えておくための、書き出しのメモであふれている。埋もれていった記事も、[次のページ]になってしまうくらいにはある。何が言いたいって、前回の記事は自分でも好き。

 

 

shirokuma-yu.hatenablog.com

 

 

 

基本的に私はSNSが好きで(流行りもの)、TwitterInstagramFacebookもやっているがSNS疲れをしている民の一人でもある。だけどTwitterの面白い記事ではクスっと笑えるし、犬は可愛いし、知らなかった常識を簡単に教えてくれるし、なにより時代を読み取れる。まだジェネレーションの渦中にいたい年齢だ。Instagramはおしゃれ!写真を撮ることがすきだから勉強にもなるし、行ってみたい旅先も増える一方。そしてプライベートアカウントだけではなく、趣味のアカウント(読書)は私にとてもいい影響を与えてくれる。Facebookはなかなか会えない友人、先輩、先生との繋がりがあって素敵だ。年に2~3回程の更新を心がけている。あと、海外の友達ともつながっていられるのは大きい。海外の旅行先で出会った人と写真を共有するにも必要なツールだ。

 

こうやってSNS離れできないあ理由はいくらでも並べられる。

 

それでも、疲れたんだ。疲れたんですよ。なのにまだ私は楽しかったことはみんなにおしゃべりしたい。そしてたどり着いたのがブログという形だった。なにが良いって能動的だっていうこと。SNS疲れの根本は、会えない人の日常であるにもかかわらず会っているんじゃないかという錯覚になることだと私は結論づけた。みんなの日常を知りたくないと言っているわけではない、でも勝手に入ってくる情報量にパンクしていた。

 

だからこのブログはInstagramのところにちょこんとURLを張っているだけで宣伝したことはない。あくまでも自己満足の日記代わりだからだ。なのに、なのに、読んでもらいたい!」という強い意志はなかったはずなのに…このブログ、10日せずに100プレビュー超えました!(拍手)自分でも満足した記事を投稿したら一日で30プレビュー越えですよ。こんな雑多ブログに。

お前読んでもらいたいって思ってなかったじゃねーか、とセルフ突っ込みなのだけれど、うれしいもんはうれしいんだ!

相変わらず誰に読んでもらってるのかは知らないけど(読んでるよと名乗り出てくれくれた人はまだ2人)意外とそこは気にならない。そして最近、InstagramのURL以外からの訪問者も増えてきた。

 

読んでもらうことがブログを更新したいという、ブログを始めたときと少し違う意欲が湧いてきた。書くことが楽しくて仕方がない。これは私が新たに手に入れた趣味なのではないか?文章を書いていると感情が高ぶってポエミーになりがちなこともあるけど、TwitterInstagramではだれに見られてるかわかるからこそ恥ずかしくてできない。そういうところもまた、よし。

 

 

記憶がはっきりしている幼稚園生のころから、おとう(父)の仕事帰りのお土産は絵本だった。おかあ(母)がしてくれる絵本の読み聞かせは、おかあの出身地の方言で読んでくれて笑い転がった。お父さんの読み聞かせはものすごい早口な時とかスローすぎるパターンとかもあってこれも笑い転がった。親戚からは段ボールいっぱいの絵本が毎年届いた。小説の面白さはおとうが教えてくれたし、中高ともに図書室の先生と仲良くなって、本のリクエストをしまくってそれに先生は答えてくれたし、休みの前日は友達のカードをも使って(のちに、それはいけないことだったのよ、と三個下の妹を介して伝達された)借りることを許してもらい、本が好きと言ってもいいかなくらいには本を読んできたら、文章を書きたいと思いはじめた。こうやっていま、記録を残せる手段が文章を書くこと、に至る必然的バックグラウンドに感謝して、次に投稿したいと思っている記事の伏線とする。

 

 

おわり