ちょっと覚えておきたいそんなこと。

Twitterじゃどんどん流れるし、Instagramほど映えるものでもないし、Facebookに投稿するには些細なこと過ぎるような行き場のないちょっと面白かったことを書きます。

平成まとめ

今週のお題「平成を振り返る」 

 

 

元号なんていらないでしょ、とは思うけれど、それでも元号はあるわけで、その元号が変わる瞬間は少しわくわくする。ということで、平成まとめ。私が生まれたのは平成で、私はまだ平成しか知らない。

 

 

 

記憶にある私の一番最初の将来の夢は「ゴミ屋さん」だった。平成9年あたりのこと。そのころ、ゴミ収集車はゴミを収集する人が後ろに捕まって、助手席に戻るという手間を省いていた。その車の後ろに捕まって乗りたくて、私はゴミ屋さんになりたかった。でも、いまはきっとそれは絶対にNGなのだろう、その姿をみることはまずない。絶対に危なかったと思うけど、それをNGにしたのは時代だと思う。

 

 

私のは、家の近くの(いまは無き)商店みたいなところで、たばこだった。忘れもしない、セブンスターは250円だった。親の買い物をみて、一番右側にあるたばこだと覚えていたけど、帰り道にそのたばこを見て、数字の7が★の文字でできているのに気づいたときは大発見をした気持ちになった。いまはたばこの値段は500円近いし、そもそも子供がたばこを変える時代ではなくなった。たとえ親の買い物だとわかっていても、だ。

 

 

小学校の周りにあった3つの文房具屋さん。駅前に一つ、学校の近くに二つ。一番学校に近い文房具屋さんのお店の人はめちゃめちゃ怖かったけど、たまに優しくてそれもまた怖かった。シャーペンの芯を買いに行って、「これ0.3mmだけど大丈夫?」と聞かれたことで、シャーペンの細さの存在を知った。いま、その3つの文房具屋さんはすべてなくなっていて、文房具屋さんも一つしかない。

 

 

100円を握りしめて、その100円でいかに駄菓子を食べられるか、100円の大当たりやブタメンの当たりがでて喜んでは、もったいなくて使えず、もしかすると何かのカンカンとかから出てくるかもしれない、何気ない日常がつまった駄菓子屋。中学生、高校生になるにつれて行ってはいけない場所になってしまった気がして、でもそれは世代交代なんだと言い聞かせていたけれど気づいたらその駄菓子屋は閉まっていた。でも今も時々近所を犬と散歩している駄菓子屋のおじちゃんは、クレヨンしんちゃんの園長先生みたいな風貌は変わらないし、散歩している犬のコーギーは尻尾がとても長くて(コーギーは尻尾を切ってしまうのは有名)後姿をさりげなく盗撮してしまったのはここだけの話。そうそう、今これを書いて思い出したけど、大学生になってから地元のみんなとBBQをするときに集合場所にしたのはこの駄菓子屋の前だったのが、今思うと「共通」の跡地だったことがくすぐったい。私のお父さんも駄菓子屋には行っていた。その時はもんじゃや、ところてんを食べていたようだけども、私はラムネやグミを食べていた。いまの小学生たちはみんな、手も洗わずに、傍から見ればバレバレの、でもその子たちにとっての秘密基地、隠れ家では何を食べているのだろう。

 

 

いま、平成何年だったかなと調べてみて驚いた。平成15年にバスケットボールをはじめて、いま平成31年、いまもバスケをしている。気づいたら15年、平成5年から生き始めたわけだけども、平成の半分は私がバスケをしていた期間になる。ブランクも所々あるけど、これには少し驚き。変わらないこともあるみたい。令和になろうと。

 

 

平成の間に、幼稚園にはいり、小中高、大学と入学卒業を繰り返してきた。たくさんのことが変わって、世の中の常識も変わって、気づけば年下の人間が世の中にはあふれていて、コンビニのペットボトルの値段もアイスの値段もどんどん上がり、パックのジュースは容量が減ったし、暑かろう寒かろうが部活をするのが当たり前だったけれども、気候の変化で部活規制が設けられてしまった今日。私たちよりもう一昔前の人たちは部活中の飲み物を飲むことが規制されてたと言うもんだから、私は私の生きた時代が一番生きやすいんじゃないかと思う。でも、それはどの時代を生きた人も自分の時代をひいきにするのだと思うけど。

 

 

私は平成が大好き。ゆとり世代をバカにされようと、私が私になったのはゆとり教育の賜物で、私にはあっていた教育だと勝手に感謝している。AKB世代を生きたことが嬉しい。嵐の全盛期を見ていたことはきっとこれから先、今私がバブルを語る大人を少し小ばかに見てしまうように、見られる側になっていくのだと思う。

 

 

shirokuma-yu.hatenablog.com

 

 

 

元号はめんどくさい。会社で使うのもポチポチ手書きで修正しているのも意味が分からない。でも、手書きで書き直しているとなんだかさみしい気持ちにもなってくる。西暦だけで日本が回ればいいのに。時代の節目がなくなればいいのに。でも、いまそんなこと言っても仕方がないので、平成がナウから歴史になる瞬間、そして平成うまれが作る令和時代を信じて、明日ばあちゃんちに行ったらお決まりのネタを聞こうと思う。

 

「今って、昭和何年?」

 

 

これが、すんなり返事返ってくるのがいつも面白くて聞いてしまう。

みなさんのおじいちゃん、おばあちゃんにも聞いてみては?意外と、数えているかもしれませんよっ

 

 

おわり